2x4工法(ツーバイフォー工法)の生まれ

北米の開拓民の家が発祥のもと。いまでは米国のほとんどの家が2×4の家です。セントメリー教会

19世紀初め、新天地を求めてヨーロッパ大陸から北米大陸に渡ってきた開拓者たちによって、人口250人ほどのシカゴに、セントメリー教会という小さな教会が建てられました。これが、現在の2×4(ツーバイフォー)工法の第1号。当時の北米には、まだ腕の良い大工や職人が少なく、建築素材も自由には手に入りませんでした。そのため、できるだけ規格化された材料で、より合理的に建築できる住宅が求められていました。一方、広大な北米大陸には乾燥した地域、高温多湿な地域、多雪や寒冷な地域など多彩な気候があり、こうした背景のなか、そのすべてをしのぐ住まいとして2×4工法は誕生したわけです。その後、何度か工法スタイルの変化を遂げながらも、2×4工法は新しい建築工法として普及・発達。2世紀を経た現在では、米国の木造住宅のほとんどが2×4工法。いまでは、住宅の顔としてその地位を不動のものにしています。

 

 

日本には、明治時代にすでに上陸。70年代後半から急速に普及しました。

 

2×4(ツーバイフォー)の原型となる工法が日本へ渡ってしたのは明治の初めのこと。「少年よ大志を抱け」の言葉で有名なクラーク博士ら一行によって1878年に建てられた屯田兵住宅がその最初だといわれています。
同じ頃、札幌の時計台や、豊平館(重要文化財)など、今日に残る歴史的建築物も2×4工法で建築されました。大正時代に入ると、
数多くの2×4住宅が米国から輸入されるようになり、日本人のライフスタイルの洋風化も、この頃から始まったといわれています。一般の住宅の工法として、本格的に導入されたのは1974年、高度成長期の建築ブームで、高性能で生産性の高い合理化工法として、注目を浴びることとなります。施工に必要な技術も短期間で取得できるとあって、建設省も積極的に普及を推進。82年には耐震・耐火など、その優秀性が厳しい実験で立証されるとともに、公庫融資では「簡易耐火構造(当時)」に認定。その後、日本の風土や生活様式の変化に対応した改良が重ねられ、現在では住宅工法のひとつとして定着しました。

 

 

 

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